Blog たか高Diary
たか高の今を伝えます
戦後80年を振り返り、次世代へ_たか高卒業生・元富士銀行頭取 橋本徹さんの言葉
高梁高校の卒業生、富士銀行(現みずほ銀行)元頭取の 橋本徹さん(昭和28年普通科卒) が、8月10日(日)の山陽新聞のインタビューに登場され、これまでの歩みや次世代への熱い思いを語られています。これから社会に羽ばたいていく在校生や卒業生にとって、橋本氏の言葉はきっと大きな指針となることでしょう。
戦後80年特別企画 平和への誓い新たに~次世代へ継承~
第5回 富士銀行(現みずほ銀行)元頭取 橋本 徹氏 「至誠惻怛」の精神を
/掲載日:2025年08月10日/紙面:山陽新聞朝刊/掲載:6ページ/
戦後80年に当たり、郷土出身者らに激動の時代や次世代への思いを語ってもらうインタビュー。第5回は、富士銀行(現みずほ銀行)元頭取の橋本徹氏(90)=高梁市出身。金融業界で長い海外勤務を経て、経営者として手腕を発揮してきた経験から、若者に「挑戦する気持ちを」と説く。郷土の偉人である儒学者・山田方谷の教えを尊び「 至誠惻怛 (誠意を尽くして人を思いやる心)の精神を大切に」とメッセージを送る。
―戦時中の体験で強く記憶に残っていることは。
終戦時は小学5年生。高梁に空襲はなかったが、米軍の戦闘機が飛んでいるのを見たことがある。自宅の裏庭には防空 壕 になる穴を掘っていて、いざとなればいつでも避難できるよう準備していた。また、教員だった両親の教え子が入隊前になると、あいさつに来ていた。悲しいことだが、何人かは戦死して、遺骨になって白木の箱で戻ってきた。でも当時は軍国主義の下で教育が徹底されていたため、当たり前のように「将来は陸軍大将になりたい」と思い込んでいた。陸軍兵が腰に提げている軍刀に憧れて、海軍兵より陸軍兵の刀の方が長くてかっこよく見えたものだ。
8月15日の終戦の日は、よく覚えている。いとこが入隊することになってあいさつに来ていたちょうどその時、ラジオの玉音放送で知った。いとこは入隊に向かったが、その日のうちに戻ってきた。これで教え子を戦地に送ることがなくなるから両親は、ほっとしていた様子だった。私は日本が必ず勝つと思っていたからショックだったし、悔しかった。「かくて神風は吹く」(太平洋戦争末期に陸海軍の後援により製作された国策映画)を見て、日本軍には神風が吹くと本気で信じていた。敗戦国となり、この先どうなるのかという不安もあった。でも高梁に来た進駐軍は、子どもにチューインガムをくれるなど優しかったから安心した。
―戦後はどんな生活だったか。
小学6年生くらいから英語に興味を持ち始めた。きっかけは探偵小説「The Memoirs of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの思い出)」。米軍関係の仕事をしていた親戚が持っていた英語の本を読んでみたかった。もちろんわからない単語ばかりだから、一語一語辞書を引きながら。小説が面白かったから苦ではなかった。父親から「翻訳して話を聞かせてくれ」と頼まれたことが励みになって、夢中で勉強した。おかげで中学に入って英語の勉強で苦労することはなかった。高梁高校では英語部、演劇部、体操部の三つの部活動を掛け持ち。特に英語部では岡山・広島・香川の3県による英語弁論大会で優勝したことがある。実はその時3位入賞したのが操山高校の池田春子(岡山藩主・池田家分家で建部藩主の家柄)。妻との運命的な出会いだった。また、幼少期から高梁基督教会(高梁市)に通い、高校卒業時に洗礼を受けた。
―激動の時代に金融界で手腕を発揮してきた。
本当は外交官になりたかったが、富士銀行に入行。行内の留学制度を活用してフルブライト交流計画の試験に合格、米カンザス大学に留学できたのが人生の転機だった。その後は、国際業務畑を歩んできた。思い出深いのは、ロンドンで英商業銀行と合弁会社を設立したこと。日本でまだ銀行に証券業務への進出が認められていない時代に、ユーロ市場での起債の引き受け事業の先駆けとなることができた。いろいろ大変なこともあったが、新しいことに挑戦するという気持ちが原動力だった。日本政策投資銀行時代には、東日本大震災への対応に追われ、岩手、宮城、福島の地方銀行と共同でファンドを設立し被災地の企業を支援した。
―山田方谷の顕彰活動にも尽力。戦後80年のいま、方谷に学ぶべきことは。
備中松山藩で財政改革を成し遂げた山田方谷が理念としていた言葉「至誠惻怛」を座右の銘として生きてきた。その心はキリスト教にも通じる教え。方谷の教えや生き方を「たくさんの人に知ってもらいたい」との思いから「NHK大河ドラマ化を」と顕彰活動に力を注いできた。いつか実現できることを願っている。
戦後の日本はずっと平和で、それが当たり前だと慣れきっている。一方で世界では紛争があり、貧しく、困っている人がたくさんいる。知識を深めて、世界の現状を知り、「至誠惻怛」の精神で、できることを考えることから始めたらよいのではないか。若い人には人生においてチャンスが巡ってきたとき「挑戦する」「受けて立つ」という気概を持ち続けてほしい。
はしもと・とおる 1934年高梁市生まれ。東京大学法学部卒。57年富士銀行(現みずほ銀行)に入り、91年頭取、96年から会長。2003年ドイツ証券に転じ、05年から会長。11~15年に日本政策投資銀行社長。日本経済団体連合会副会長や国際基督教大学理事長なども歴任した。90歳。
企画・制作/山陽新聞社広告本部
#高梁 #たか高 #高梁高校 #たか高ストーリーズ #卒業生インタビュー #戦後80年 #平和への誓い #次世代へ継承 #挑戦する心 #至誠惻怛 #山田方谷 #山陽新聞