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たか高の今を伝えます

令和元年度後期終業式式辞

令和2年3月19日

後期終業式「未見の我」

〇 明日は春分、いよいよ本格的な春の到来です。本来なら、今日は学校における令和元年度最後の日、後期終業式の日でした。しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、岡山県では3月2日から春休みの開始日まで臨時休業、さらに当面の間、補習や部活動もできないという異例の事態が続いています。

〇 臨時休業に入る2月28日に、1、2年次の皆さんには、先の見えないこれからの日々をどうやって過ごすのか、たか高生が試されているのだとお話ししました。皆さんは、休校になってからの日々をどう過ごしていましたか。終業式という節目の日を迎えるはずだった今日、謙虚に悔いのない毎日であったかどうかを振り返っていただきたいと思います。

〇 さて、皆さんは「未見の我」という言葉を知っていますか。人間誰しも自分の中に自分の知らないすばらしい自分が眠っている。それが、未見の我です。しかし、人は皆、自分の中にある能力のほとんどを使わずに、まして気付くことさえないままにその人生を終えていくそうです。人生とは、未だ出会ったことのない自分、試練を経て成長した先にある新たな自分を求める旅であると言えるかもしれません。

〇 未見の我に気付くためには、自分自身を深く見つめ直し、外部の刺激に触れ、何かに本気に取り組むことが大切です。本気に取り組む時だけ、内に眠っている才能が発揮されます。その結果が成功であれ、失敗であれ、未だ見ぬ自分に出会えた時に、人は感動し、成長した自分に気づくはずです。

〇 成功した人の伝記を読むと、そのほとんどが未見の我がきっかけでした。リンカーンしかり、エジソンしかり、ノーベル賞受賞者の山中伸弥、吉野彰しかり。かれらの高校時代は、ごくごく普通の生徒だったのです。

〇 「未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。必ず達成します。 運命を造りなさい。」 とは、幕末の賢人を育てた吉田松陰の言葉です。

〇 いつもの毎日をなんとなく過ごすのでは、未見の我に気付くことはありません。「限界とは努力をやめたとき」と言います。未見の我を信じ、試練を乗り越えた後に「新たな可能性を持った自分」を発見する、そんな生き方をしてもらいたいと願っております。

〇 終業式ができないという異例の年度末となりましたが、今日という節目の日が、新しい自分をひとつ発見するきっかけの日となるかもしれません。

〇 明日から、春休みです。コロナウイルス対策をしっかりとやり、健康と事故に注意するとともに、未見の我と出会えるためにどう生きるか、そのために何をすべきかをしっかりと考え、春休みを計画的に、かつ、一日一日を大切にし、4月の始業式には少しだけ成長した皆さんに再会できることを期待して、終業式の言葉とします。