鎌田 玄溪 (かまたげんけい)

学者、詩人。名は博、字は子文、通称は宗平。号は玄溪、別号は篁園。医家に生まれ、幼時から家庭で教えを受け、天保9年(1838)大阪の藤澤東がいの門に入り荻生徂徠の学説を学ぶ。次いで江戸で昌谷精溪に朱子学を学ぶ。天保14年玉島で家塾を開く。このとき川田甕江、柚木玉邨らが入門する。嘉永6年(1853)玉島に松山藩の郷校開始と同時に教授となる。慶応2年(1866)有終館督学、藩主侍講となり備中松山に居住する。廃藩後、久代(現総社市)の玄溪に隠居し、作詩したり、書画をかいて余生を送る。著書に「玄溪遺稿」がある。

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