柚木玉邨(ゆのきぎょくそん)


文人画家。浅口郡玉島村(現倉敷市玉島)、柚木竹叟の三男。家は備中松山藩の吟味役をつとめ、奉行格の待遇を受けた。本名を方啓といい、通称梶雄。玉邨のほか瓊島仙客、雙璧斎主人、小鋤雲館主人などと号した。鎌田玄溪及びその子平山に学んだ後、東京帝国大学農学部に進学。明治二十三年(1890)同学を卒業後は、第八十六国立銀行取締役をつとめ、また岡山県農業会幹事兼技師の職をもち、農政の新知識として産業方面に残した功績は少なくない。南画を玉島に来ていた清国人胡鉄梅について学び、のちに宋・元の古法を研究、さらに書道・詩文に通達、流麗で品格の高い文人画をかいた。昭和二年(1927)日本書道振興会展に出品した「尢桝雛鱒}」は日東賞第一席となる。泰東書道院審査員、平安書道会審査員、昭和十六年合同新聞社(山陽新聞社の前身)から文化賞を受ける。主著に「玉邨畫話」「品茶譜」「瓊島仙館畫存」「雙璧斎瑣談」などがある。また長男久太、孫祥吉郎は洋画をもって一家をなした。