清水比庵(1883〜1975)


書家、歌人。現高梁市荒神町に生まれる。比庵は号で本名は秀。高梁中学校、第六高等学校を経て明治四十一年(1908)京都帝国大学法学部を卒業。卒業後は司法官として神戸地方裁判所へ勤務、退官後は安田銀行、古河電機工業会社などに勤めた。昭和五年(1930)栃木県日光町(現日光市)から懇請をうけて町長に就任、町長在職中から歌詩「二荒」を発行、書道に執心し、昭和十四年退職すると歌と書に没頭、独自の境地を開拓し、詩趣に富む画を描いた。昭和十七年川合玉堂、清水三溪(比庵の弟)らと野水会を組織、晩年には奥村土牛、小倉遊亀らと有山会を創立、歌誌「窓日」を主宰するなど比庵芸術の幅は広く、ゆたかな詩情をたたえ、人の心によびかける主張があった。昭和四十一年には正月の宮中新年歌会始めの儀に召人に選ばれ、御題「声」の一首を詠進、また昭和三十三年日光市、昭和四十六年高梁市からともに名誉市民の称号を受けている。日光町退任後は東京都に在住したが、愛郷心あつく、郷里高梁市をはじめ岡山県下にもしばしば帰って、各地に足跡を残している。著書に「比庵歌・書・画」「紅をもて」がある。昭和四十九年高梁高等学校発行「松籟」の表紙は比庵の書である。